ゆったりんご | 観る、読む、思考、書き、創る、そして眠る、そんな日々。

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転職活動

3月末で長く勤めた会社を契約期間満了で退職した。

その半年くらい前から、少しずつ転職活動をしてきましたが、うまく次の職に出会えずにいる。
病気のこともあるし、本当は少し休みたいけれどもそうも行かない。
週3〜4日で働けたら理想だなと思うけれど、そうすると今度は生活が成り立たない。

私みたいに働けなくはないけれど、フルタイムで働くのはキツい。という人はたくさんいると思うのに、
そういう人々を支えるものってないんだなって思った。
ゼロか百か。
健康で普通に働ける人しか生き延びることができない。
健康で普通に働けていたときだって、ワーキングプア状態で厳しかったのに、
それにマイナスの要素が更に加わったら、もうどうにも出来ない。
野垂れ死にだ。
それが嫌だったら、体を酷使して働くしかないのだ。

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Category : ひとりごと
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2月

あっという間に2月が過ぎた。
今年度最後の単位修得試験に始まり、あれやこれやと気がつけば月末。

私にとって、なんだか2月は特別な月なのだ。同じように日常は過ぎるし、時間も同じように速く過ぎる。でも、そこを通り過ぎる空間の色合いがなんだかespeciallyなのだ。

ある期間に、すっごくありがたい気持ちに満たされ、幸せな気持ちでうっとりとなれるからかなぁ。
その期間は、ある意味神聖な期間で、私の中では空間と時がきらきらきらきらしているのだ。そして、その期間が過ぎると、そのきらきらは少しずつ消えていくのだけど、そこで味わった嬉しい気持ちはその後、きらきらの後を継ぐように私の中に存在し、私はそれを噛みしめる。。ひとつ、生まれ変わったかのように新鮮さが舞い込み、希望がきらめく。

2月はそんな月なのだ。
今年は4年に一度の日もある年で、貴重だったな。
単位修得試験は異例の高得点で、思わず飛び上がった。

Category : ひとりごと
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課題祭りから

 1月10日必着の2つのレポートから解放された。
 お正月も連休もなかったのが残念だけど、貴重な経験でもあったな。
 今回は本当に書けない時間ばかりだった。
 〆切はいついつとわかっていて、それまでにこの課題はここからここの間で書き上げなければ間に合わない、という一応の計画を立てて望んでたわけだが、一向に思考も進まない。だから、いろいろ考えながら、だらだら~としたり、眠ってしまったり、テレビ見たり、はたまた別の先の造形の課題を始めてみたり、本当に手つかずだったのだ。
 でも、なんとなくだけど、そういうアイドルタイムがあってこそ、のような気もするのだ。課題のことは、もちろん常に頭の片隅に置いておいてあるが、どうしようかなぁと思いながら違うことをしちゃう。
 その時間に何かがうごいているような。
 実際目の前のことと頭の中のことも、全く動いていないんだけど。頭の中のことは、少し動いているのかな。
 とはいえ、やっぱり最後はしっかりとそれに向き合って「書く!」と決めないと始まらないのだけどね。
 ただ、その過程で「諦めない」ということだけが、実を結んでいるような気もした。「諦めない」ということはとっても疲れることだけど、やっぱりその小さな決意が大きいのだ。

 私はこのたび、「諦めない」ということを続けようと思った。
「続ける」ということを続けるということだ。
 課題祭りは年の始めにそんなことを教えてくれたのかな。

 そして、間髪入れず2月頭の試験勉強がスタートする・・・。

Category : ひとりごと
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「色」とわたし

「共感覚」という言葉を知った。 

 共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)
 とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも
 生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感
 覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じ
  たりする。
 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/27 04:20 UTC 版)
 
あ、これ、わたしにもある。
この言葉に引き込まれた理由。今まで人にこのことを言っても、なかなかわかってもらえず歯がゆい思いを密かにしていた。
わたしは文字に色が見えるのだ。殊に数字。他の文字にもうっすら見えるけれども、数字ほどではないかな。似たような色の数字だと、本気で間違えてしまう。あれ、4日だったっけ9日だったっけ・・・?というように。文字の形ではなく、色で覚えているからだ。
「色」が私の記憶の手伝いの大半を占めてくれている。実際、書かれている文字に色が付いている場合も有効だ。その場合に、自分の見える色と違う色が配色されている場合は、それは結構な違和感があるのだ。でもまぁ、対応できる。黒文字一色の場合よりも実際に色が付いていて目から色を感じた方のがやはり記憶に残りやすい。

そんなことを考えると、私の生活は「色」ありきで成り立っているように思う。もし、「色」という概念がなくなってしまったら、とてつもなく不自由になると思うし、苦痛だと感じると思う。
頭で感じる色と実際目から感じる色、その両方から支えられて、私は成り立っているなぁ。だからモノクロより断然カラーの方が好きだし、身の回りのものや服装も好きな色での偏りはあるが、比較的カラフルである。たくさんの色を持っている。そうしてそれらを合うように組み合わせるのが楽しかったり。

文字や数字に色を感じる生活。私的にはかなりおもしろい。
4と9が似ているのが、玉に瑕だが・・・。(全然形、違うのにね。間違えようがないよね。色が似てて・・・ってやっぱり言い訳にならないんだろうなぁ)

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ドラマ『それでも、生きてゆく』

 今クール、民放で唯一見ているドラマに猛烈に揺さぶられ、猛烈に感動している。そして「嬉しい」という気持ちも共存。脚本は坂元祐二氏であったので、無条件に見ようと思っていた。
 ドラマ『それでも、生きてゆく』だ。
 
 なんというか、まずはこんなすてきな脚本を書く人に巡り会えたことが嬉しい。私にはとても響いてくる。今回のドラマの内容的に「すてき」と形容するのもどうなのかと思いはするが、そういうものを超越してすてきであり、すごいのだ。『Mother』のときにも感じた感じ。

 まず、第一話は当然のように引き込まれた。物語の運び方(構成)とか、セリフの緩急とかおもしろみとか、人物の心情の描き方やそのディテール。軽くない。かといって重すぎることもない。テーマはとても重いんだけどね。
 当然、二話三話と見逃せるはずもなく、更にまたひとつの魅力に気づく。それは、エピソードの挿入の巧さだ。エピソードそのものもそこら辺にあるようなものではなく心を打つ。そしてそれを使い、本題に入っていくところ。「ゴリラのTシャツ」―「ゴリラの血液型はみんなB型」のところや「座るときゅっと丈があがるスカート」のところ。やっぱりすごい。
 そして思ったのが、当たり前と言えば当たり前であるが、連続ドラマという特性を十分に活かして楽しんで書いてるなぁということ。こういった題材のものは映画や2時間ドラマなどでも描ける。連続ドラマのいいところは10時間、11時間なりかけてじっくり描けるところだ。その利点を上手に活かし、かつ懐深く書かれている。
 演出もホンに合っていて雰囲気がいい。私は好きだ。それこそシーンによっては映画を見ているような気分にさえなる。

 偉そうにいろいろ語ってしまったが、なんだかほんとうにすごいと思うのだ。すごいと思えるものに出会えたという嬉しさと制作側が私たちに対して真摯に作ってくれているという嬉しさ。作る側が置いておいた表面の奥にあるものの存在に気づけたとき、視聴者は感動する。そしてそれを怠らないでいてくれたことに嬉しくなる。
 プロの仕事だなぁ。
 私も精進だなぁ。

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大好きなの、 『RENT』

 過去見たミュージカルの中で一番といっていいほど好きなのがブロードウェイミュージカル『RENT』だ。ジョナサン・ラーソンの作るメロディーラインがもう私にはたまらないのだ。初めてのロックミュージカルと記憶している。
 1998年の日本人キャストの公演しか観たことないのだが、持ってるCDはブロードウェイキャストのもなので、今となってはブロードウェイキャストのRENTを観た、と錯覚してしまうほど。
ラーソンはRENTの開幕前に35歳の若さで病気で亡くなってしまうのだが、実に素晴らしいものを残してくれたと思わずにいられない。
 『RENT』を聴くと、なんだか本当に元気になる。あぁ、歌いたい!と思う。また、ミュージカルやりたい!とまで思わせる。ある意味いい起爆剤。気持ちを上げるためにはすごく助けてくれる。本当にメロディがすてきなの。どれもこれも。私に歌わせろ!と言う気になる。あ、偉そうに、ごめんなさい。でも、本当なの。どれもこれも巧く仕組まれていてその結果が美しかったり、激しかったり、悲しかったり。
 音楽から役者、舞台全部をひっくるめて合わさった芸術。人が綿密に練り上げ組み立てて出来上がったその時1回限りしか存在しない芸術だけど、これほどまでに観ているものに変化をもたらし影響を与える。これが感動なのだと思う。例え内容がわからなくても、受け取れるものがある。受け取るものは観る人それぞれで、与える方はそれを限定してはならない。

「I should tell you」という曲があるのだけど、その中でなんども“I should tell you” と歌うのですが、それが「愛してる」に聞こえるんです。内容はそういう感じではないのですが、その言葉があのメロディにのって歌われるとそういう雰囲気さえ漂ってくるからおもしろい。
「愛してる」ってささやかれてるみたいなんです。

 『RENT』みたいなミュージカルを作りたいな。
 その「『RENT』みたいな」っていうときっといろんな解釈があるんだろうなぁ。
 どんな「『RENT』みたいな」なんだろう。
 私もまだよくわからない。漠然としているけど私の好きな「『RENT』みたいな」なんだ。

いつかニューヨークにミュージカル旅行しに行くので、その頃また再演しないかな。
やっぱりブロードウェイミュージカルはオリジナルキャストで観たい。

 なぜいきなり『RENT』のはなしかと言えば、突然なんだか『RENT』を聴きたくなって、聴いていたら『RENT』熱が再燃して、叫びたくなってたまらなくなったからです。

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クレーさんが教えてくれました

「絵を描く」ってことは、創作するという点では本を書いたり、映画や舞台を作ったりするのと同じだ。
でも、絵はそれらより自由だな~と今日感じた。
自分のイメージをそのまま表すことが出来る。
でも、ホンを書くにはそれを文字に起こしたり、組み立てたりしなくてはならない。

描きたいから描く、描きたいように描く。
ように、変に難しく考えず構想出来たらもっと広がるのだろうな。
頭の中だけは無限大の想像を許されているのだから、そこに余計な制限をかけるのはもったいない。
「あ、絵描こう」というようにホンを書ければ、きっといいな。


その絵が何を言っているのか、どんな思いが込められて描かれているのか、そんなことはわからない。
わからなくていいのだ。わかろうとしなくてもいいのだ。
それを観て感じればいいのだ。
絵はそうやって鑑賞できる。

でも、本や映像や舞台を観るときは、なぜだか何かを求めてしまう。
それを観たからには納得したい、というような感情が起こっているのか、
○○でなければならない、という前提で観てしまっているような。
見る側がどうしてもそれに意味を持たせたがってるような。
だから創る時も苦しいのかも。


視覚から飛び込んでくる情報はダイレクだからか、私は視覚から訴えられるほうがつかみやすくわかりやすい。
ボーっと眺めているだけでも何かを受け取っているような感じ。
でも、私の勝負どころは今、文字なのです。
イメージ(映像)から文字への変換。
文字からイメージへの変換が柔軟に出来るようになればきっともっと自由になるのかもな。
想像力だなぁ~。


そんなわけなのか、急にdrawingしたくなって久しぶりにスケッチブックを開いた。
夢中で無心で気がつくと夜が明けて、小鳥のさえずりが・・・。
たまーにある、こうやって徹夜しちゃうこと。
次の日に響いちゃうけど、まぁいい。
まさに没頭だ。


パウル・クレー展でお気に入りの絵のファイルやらハガキやら買ってきた。
パウル・クレー展
他にiphoneケースやマグカップでかわいいのがあった。
マグカップほしい!と思ったわ。
iphneケースも今ケースを持っていなかったら買っていたかもだな。
だって、クレーの絵よ。

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